お墓の境界地が共有になっている?

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お墓を建てる時は30~40年後のことも考える?

三寒四温とはよくいったもので東京は雨も降ってとっても寒いですね。こんにちは。石屋のけんすけこと清水屋5代目予定の清水健介です。僕の自己紹介についてはこちらをご覧くださいね~。

ありがたいことにお彼岸後いろいろお仕事の依頼を受けております。それも一筋縄ではいかないものばかり。

むむむ

気合を入れていかなければいけないですね。

さて、その一例を。この写真をご覧ください。

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お墓がつながっている??

■外柵、囲障ともいいますがお墓の石塔以外で自分の境界地を石で囲ったものをいいます。

この外柵が隣の方と共有化しているんです。今の都立霊園や民間霊園ではないとおもいますが、寺院墓地や共同墓地、野墓地などではよくあります。施行規約がガチガチじゃない昔の都立霊園の区画ではあるのかな??

実際にそのように建っているお墓の建立年月日を見ると昭和30年~40年くらいのものが圧倒的に多いです。外柵・囲障が共有されているお墓の隣同士の人は親戚関係が多いです。事実として10何件の囲障が共有というのもあります。

お墓はその当時の状況にも影響される

なぜこのようなことがあるのか。

僕の私見も入るのですが、戦争が終わったのが昭和20年です。終戦後、日本は貧乏のどん底でした。そのどん底から這い上がり、みんながなんとか生活ができるようになり、考えたのはお墓であり先祖供養であった。ただ、お金は有り余るほど裕福だったわけではなかったので同じ親族同士でお金を出し合い、せーの!で一緒に作った。これが共有外柵・囲障ができた理由の一つだと思います。

当時の状況もあるのですが、色々仕方がない部分もあると思うんです。ただ、お墓を建てて50年くらい経ってくると時代も違う、家族の形態も違ってきます。そうすると問題が出てきます。具体的に言うと「直したい、お墓を移動させたい」などです。

解決方法は色々ありますが、リフォームする場合切り離しをするしかないこともあります。これカッターを使って人力でちょっとずつやっていく大変な工事になります。ですのでこれからお墓を建てようと思っている方は30~40年後を考えて建てていただければと思います。僕もそのように考えられるようにアドバイスをさせていただいています。

お墓終いってのも結局のとこその場しのぎだよ。

今お話したのはお金とか色々な状況でお墓を作るという決断にいたって、その50年後問題が出たという話し。

一方、今「墓終い」ということが流行り言葉のように皆さん言われていますが、ちゃんと後継者の方たちのことを考えていますでしょうか?子供、孫に迷惑をかけたくないということがよく言われていますが…。どのような形であれお骨は埋葬しなくてはいけないのです。お墓がないほうが子供さんお孫さんにとって大変な苦労を残してしまう気がします。

いいと思ってやっていたことが後々全く別の作用を生みだす。そんな例を今日のほんまでっかで。

今日のほんまでっか!? 松こもの話

姫路城の話を見ていました。松こもを中止の話。

松こも

「松コモ巻き」とは松を枯らしてしまうマツカレハの幼虫を駆除するための伝統的な方法。冬前に松を藁でくるんであげる。

 

この駆除法の効果と問題点を比較検証した研究で新しいものとしては、兵庫県立大学環境人間学部の新穂千賀子らが2002年から5年間かけて姫路城で行った調査があり、これによればこも巻きに捕まったマツカレハはわずかであり、対して害虫の天敵となるクモやヤニサシガメが大多数を占め、害虫駆除の効果はほとんど無く、むしろ逆効果であることを証明した。もっともこの研究以前から、天敵や設置方法への配慮が必要との声は古くから上がっており、天敵の捕殺の程度を検証し、害虫を効果的に選択するための研究も行われている。そのため、皇居外苑や京都御苑では既に20年以上前から行われておらず、浜松市も2007年から中止している。

「効果がないどころか逆効果」

ぼくは無理やりこじつけているわけではなく「墓終い」「散骨」というものも良かれとおもって逆効果という顛末になることを恐れています。色々な結果が出るのは30~40年後だからね。色々な事例を出して総合的に判断してほしいです。物事を刹那的に考えない。横にいる孫の顔を見て考えてほしい。

今しっかり考えて!マジで。
良かれと思って…。と20年後に嘆いても散骨したお骨は返ってきません。

けんすけの桜 満開

雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ 咲いております。

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全優石津波記憶石プロジェクト 吉浜に津波記憶石が建つまでのインタビュー全5回です。どうぞご覧ください。

インタビュー

この記事を書いた人

清水 健介
清水 健介この記事を書いた人
創業明治10年東京都上板橋の石材店清水屋5代目社長の清水健介です。令和元年に5代目就任。学生時代からやってきた納骨回数は2000回を超える。お墓、石のことなら何なりとご相談をいただければと思います!お墓を作ったはいいけど、コケだらけなんか嫌!“また会いに行きたくなるお墓つくり”を提案しています。髪がくるくるしているけどパーマじゃない。これは無料パーマだといいつづけている。全国石製品協同組合 理事、東京都石材業政治連盟 幹事長。
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