清水健介のブログへようこそ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存
  • 0

はじめまして。清水健介です。

数あるブログからこのサイトを見ていただきありがとうございます。まず僕の自己紹介と会社紹介から。僕、清水健介は東京都板橋区上板橋にある創業明治10年の石材店に生まれました。板橋区板橋二丁目に『石初』と言う商号にて清水初太郎が創業したのが始まりです。 途中支那事変、太平洋戦争など色々な事が有って、一時期休業をしてたんですが、 昭和26年に板橋区上板橋二丁目に清水石材工業と言う商号で事業を再開して今日にいたっております。

今の屋号は株式会社清水屋。父が現在の社長で今、僕は専務取締役。今度社長になったら5代目です。

DSC_7734

小さい頃の遊び場がお墓だった。

家業が石屋さんだったので小さいころから遊び場はお墓でした。本当ですよ!お墓の施行に砂とか砂利とか使うからそういうのが周りにあって砂場遊びをお墓でやっていたんです。小・中学校のときは力もないからお寺のお花片づけをやったり、高校・大学とかになるとある程度力もついてきてお墓の解体、施行補助、納骨の手伝いをやっていました。

納骨回数は1000回を超えている。

石屋の職人というのは体が大きいものなんです。うちにいた職人もお腹がブトッとした人多かったし。だからお墓でお骨を納骨をするときに納骨室(カロート)にお腹が突っかかって潜り込めないんです。

記憶にあるかぎり…高校時代くらいから納骨の手伝いをしてたと思います。正確には数えていないけど今では1000件以上はやっていると思います。

大学卒業後、石材業界へ

大学3年?4年くらいには自分の将来を考えるものなのですが、僕は家業の石材店にいくのが嫌で嫌でしょうがなかった。

その反発もあったのでしょうが就職活動は一切せず、大学の法学部だったのもあり法律の道へ行こうと思っていました。勉強も自分なりに結構したつもりだったのですがうまくいかずもう一年やってみようかと思っていたところ父の体調が急に悪くなったのです。

納骨の時の言葉で今の自分がいる。

うちの社長は元々体が悪いのですが、本当に大丈夫か?という感じになっちゃった…。図面などを書いているのはすべて父だし、会社の中心がダメになるとすべてが回らなくなる可能性がありました。

そんな中、今は亡くなってしまったのだけど、ある方のお母さんを納骨する仕事をしました。その時に言われた言葉。

俺が死んだときにお骨を入れるのはお前だからな。

もう予告先発なのですよ。最初は僕には何だかよくわからない言葉だった。でもその言葉が自分の頭の中に残っていたんです。ずっと。

これが

うちの家業ってこういうことなんだなと初めて理解した瞬間だった。

父の体調・あるお客さんの言葉 これで家業を継ごうと決心したのです。後日談ですが、僕が仕事をし始めたら父親は元気になっちゃいました…。よくある話??

石屋さんの僕が伝えられること。

大学卒業後、石材業界へ直接入った僕なので一般企業の話とかは正直わかりません。でも書いたように1000回以上の埋葬回数を経験している。実はこれって本当に人の最期の瞬間をそれだけ見届けてきたってことなんです。その人の人柄、生きてきた証とかが納骨の瞬間にすべて出る。僕はそういう経験から人が亡くなった時の弔い方(とむらいかた)というのを本当に大切にしていきたいし、皆さんには少しでも色々な情報が伝えられて参考になればいいと思っています。よろしくお願いいたします。

お墓は作ってゴールではなく、そこからが始まり。

株式会社清水屋 専務取締役 清水健介

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存