石屋のけんすけタイの寺院へ行くその2

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トゥクトゥクの後部座席から浴びるバンコクの風は思いのほか心地よかった。髪ももっとバサバサになるかと思ったらならなかったし、後部座席からでも会話はできた。

このブログ記事は石屋のけんすけタイの寺院へ行くの続きです。その1のブログはこちらから。

さて、僕が乗ったトゥクトゥク。後述しないのでここで書かなければいけないのだが、3輪バイクのトゥクトゥクは完全に運転手によって別の乗り物になる。

エンジンの排気量などは規定で決まっているのか定かではないが、夜に乗ったトゥクトゥクは完全なるモンスターマシンだった。

昼に僕を乗せてくれたおじさんはもう安全運転で何も不快なところはなかった一方で夜の兄ちゃんは…。後部座席に二人乗っている状態でウィリーしたり、加速が尋常ではなかったりとバンコクの街をまるでジェットコースターを乗っているかのようなスリリングな体験をした。

外観はというと ボタンをポチっと押すと派手なネオンを点灯させるものや、後部座席にはデカデカとした文字で“VIP“と書いてあったりと、そこは個性を出しお客を一人でも勝ち取ろうとするアピール合戦の場でもある。

昼に乗ったタクシーもだったが、相変わらずギアのかみ合わせが良くなく、クラッチがすべっているのか急につながるとふかしたアクセルと相まって僕らは後部座席へ押しつけられるという連続。まったく冷や冷やさせられる。

このような運転手にめぐり合うのも運であり縁だ。後部座席にはもちろんシートベルトなどはないのでほうり出されればタダじゃすまされない。そんな後部座席で日本の車にもある天井のノブを握りしめ必死に揺れと格闘する僕がいた。

さて、話を戻すとトゥクトゥクの車内では英語で話が始まる。バンコクの人は総じて話好きでいつもの質問からスタードだ。

どこから来たの?到着したのはいつ?何日くらいいるの?仕事で来ているのか?

質問に1つ1つ答えていると後部から物凄い音のクラクションが鳴り響く。誰に対してなのか、僕の乗っているトゥクトゥクなのかはわかないが、アジアでクラクションはおなじみの光景だ。もう何年も前、日本でも僕が小さい時は車のクラクションが鳴りまくっていたことを思い出した。クラクションを鳴らすだけにはとどまらず車のドアの窓を開けてよく叫ばれたものだ。

信号待ちになるとトゥクトゥクの周りはバイクで囲まれていた。隙間があればバイクは入り込んでくるし、トゥクトゥクの運転手は危ないタイミングで入られていても何も動じることもない。この街ではまるで阿吽の呼吸のように割り込み、急発進、追い抜かれないように幅寄せなどが絶えず繰り返されている。

数分だろうか、バンコクの風を浴びながらのトゥクトゥクドライブだったがある寺院の前に着いた。運転手はここで待っているそうで。お参りしてきなさいと僕を送り出した。

タイの寺院へは初めて入る。申し訳程度に会釈のようなおじぎをして入る。

寺院建築は色彩豊かであり、非常にち密で見ていて飽きない。そんな建築物を見ている僕の目に飛び込んできたのが大きな仏像だった。

運転手はしきりに45mある仏像だといっていたのだが、”まっぷる”では32mと書かれていた。まったくもって適当だ。

この仏像、調べてみると完成までに60年を要したらしい。正面からみると迫力満点だが、厚みが薄い。本当に薄い。非常に特徴的だった。

仏像の目の前には街のいたるところにあったように、2016年10月13日に亡くなられたプミポン国王の祭壇があった。これが常設なのか、亡くなったための弔いのためなのか不明だが、このタイという国で国王の存在がどれほど大きなものかがわかる象徴的なものだった。

この寺院の中ではタイらしい仏像もあれば中国色満点のものも多くあった。中国語で書かれていると少しでも内容を理解しようとする気持ちにもなるのだが、なにせタイ語はわからない。

イヤホンでの案内なども当然ないので それがどのような意味なのか、何を祀ってあるのかもわからずその造形美のみを楽しむ形となった。

中国や台湾でよく見る色彩豊かなタイプの仏像もあれば非常に細かい彫刻がされているものもある。しかし、これが誰なのか全くわからない。

僕がこの寺院で非常に興味を持ったのは納骨堂だった。故人の骨壷が日本のロッカー式納骨堂のようなものにズラっと入っていた。

特徴的なのはその外見だ。日本のものは中が見えないようになっている。しかしタイのロッカー式納骨堂は日本で言うと大きな下駄箱のような形をしており1つ1つに扉が付いている。その扉は透明になっていて、故人の写真と共に骨壷が見えるようになっている。中が誰にでも見れるようになっているのだ。

この骨壷を見て僕が思ったのは柄が日本でいう九谷焼の伝統的なものとほぼ一緒だったところだ。

非常に美しいと思う骨壷だった。

故人のお骨を入れる入れ物としてこのような装飾・色彩は死者への礼節であるし、最後の思いを込める瞬間は日本と変わりはない。

寺院内から一歩外へ出ると放し飼いなのか野良犬なのかわからないがその多さに驚かされる。猫もそこらじゅうで寝ている。台湾とここらへんは似ている。台湾の犬は横断歩道を青信号で歩くのだが、バンコクでは信号などはほとんどない。道を歩いている犬ははたして向こう側へ渡るのだろうか?僕はそんなことを考えながらこの寺院を後にした。

トゥクトゥクの運転手に会うと次は縁起がいい仏像を見るとのことだ。

またしばらくのトゥクトゥクドライブとなる。運転手はずっと45m仏像のことを話していた。はたしてどこからの長さなのかチンプンかんぷんだった。

そしてある寺院に着くとになる。

先ほどの寺院と同様に会釈をして寺院内へと入る。先ほどの大きな仏像があったところとは対照的にこじんまりとしている。運転手からかっぷくのいい仏像に手を合わせてきなと言われたのでその目の前で手を合わせる。

すると横で拝んでいた男性がまた話しかけてきた。英語でここは写真は撮れないと僕に話しかけてきたが、彼は日本にいたことがあるという。

僕に知っているところを見せたかったのだろうか、真言宗・曹洞宗・臨済宗・天台宗…と日本の在来仏教を全部言ってきてあなたは何?と聞かれたので真言宗だと伝えた。

仕事は何をしていると聞かれたので僕は「お墓を作る仕事です」と彼に話をしたら目を丸くしていた。珍しかったのか不思議だったのだろうか。

彼は話を続ける。この寺院の言われや寝ている仏像や太った仏像ひとつひとつにお願いするといいという。上には祭壇のようなものがあるが今日は見れないという。

また、彼曰く8日ごとにタイでは特別な日がくるらしい。今日がまさにその日でみんなお参りするというのだ。

4月8日がお釈迦様の誕生日だから”8”という数字に由来するような事柄なのだろうか?

日本の仏教でも似たようなものはあり、特定の日に自分を整える日として剃髪などをする宗派もある。今日はその偶然に出くわした特別な日であったのなら運がいいのかもしれない。

一通り拝み終えると彼に礼を告げてその場を離れた。運転手のところへ戻ると次はシルクのお土産屋に行くという。

さてだ…ここまで読んできていただいた方はわかるか方はわかると思うが、僕はいわゆる「ラッキーブッダ詐欺」にかかっていたのだ。

が、はたしてこれが”詐欺”だったのかどうなのか…。また読み進めてもらいたい。

シルクのお店へ行く道中、僕はこれから始まる壮大なコントのことなども知らずにトゥクトゥクの旅を楽しんでいたのだ。

お店へと到着する。その時にいつしか日本でみたあの光景がフラッシュバックしてくるのだった。

お寺の団参旅行(お寺さんの檀家さんの有志があつまってバスなどを借りて旅行へ行き、本山や同門宗派のお寺さんをめぐる)に僕はよく参加させていただく機会があるのだが、バス旅行の時に大体このようなことはおこる。

あるメガネの生産地で有名な場所を通った時にバスはメガネ工場併設の物産館へ立ち寄ったのだ。

メガネの歴史や政策行程などを案内され最終的に大々的なメガネ売り場へと案内される。レイバンやポリスがこの地で生産されているのかは僕の知るところではないが、そこにはありとあらゆるメガネが所狭しと陳列されていた。

価格は通常価格であったように思う。

すると僕が参加していた団体のご老人達は我を忘れてメガネを買っていたのだ。せっかくだからなのだろうか。この機を逃すまいとレジへ並ぶ列ができていた。

バス会社へ売上の何%かはこの地からキックバックでいくことはご承知であろうが団参との親和性がないメガネに僕は何も購買意欲が生まれていなかった。

ただ、自分なりにおこずかいを配分して団参に臨んでいるご老人の一人は明らかに周りに流され、自分のキャパオーバーのメガネを買ってしまったため、我に返り茫然としている姿を僕はいまだに覚えていた。

…昔の記憶、何年も前の記憶を思い出すとともに僕は

「これマージンがいくやつだな」

と思いながらシルク屋の中へと入っていくのであった。

店内は生地が数多く並び、ジャケットやスーツ、ワイシャツなどが展示されている場所だった。いわゆるテーラーだ。

王様のブランチ?旅番組?か何かで見たことのある店内でスーツオーダーをしたら旅行中にお届けのような内容を思い出した。ほぉ こんなところにあのお店があるんだ的な感じだった。

店内の奥へ入ると、うさんくさい店主が僕へ近寄ってきて

「すぐにスーツをオーダーできる。」と話を持ちかけてきた。

作ったら翌日ホテルへ持っていくと。やっぱりブランチか何かで見たやつだ。

価格を僕は聞いてみた。

価格はオーダーで25000バーツだという。

1バーツ = 約3.4円

高い…。高すぎる。日本ならまだしもここはタイだ。

「ジャケットのみは?」と聞いてみると

12000バーツと言っただろうか。オーダーシャツは日本と同じくらいの価格。

きっぱりと 「 な し 」 だ。

”NO”とはっきりと伝える。

この時、やっと僕は確信したのだったが。僕は壮大なコントの終結点がここなのだということを認識することになる。ただまだこの行程までにあった色々なことは点であり線につながっていない。どこからがコントのスタートなのかは見えていない。

「けんすけタイの寺院へ行くその1」から見てくださった方でバンコク事情に詳しい方は最後に出てきた先生のところで「志村 うしろ!うしろ!」ならぬ「けんすけ~それラッキーブッダあるあるだよ!」とわかっていてくれただろうか?

帰国後、色々「ラッキーブッダ」と調べてみるとおそらくコントの始発点はあのバンコク先生だろう。近くにいた児童達はたまたまだったのだろうか…。寺院にて話しかけてきた男性は?8日ごとの特別な日の解説は?何が真実かは定かではないのだがすべてを通して不快ではなかった。それを巧妙というのか、そもそもゆるいのか。

シルク生地が多くあるテーラー屋でしばらく僕は考えていた。

今回の日程ではゴルフ場の往復に多くの時間を取られてしまいバンコクの街を今日しか回ることができない。最終的にはお土産についてもホテル周辺で探すことになってしまうだろう。

僕にはお土産を買う時間がないことを認識した。

元々タイではシルクが有名らしいので何か買っていきたいという気持ちがあったので自分の好きなもので、これはというものを店内で探してみた。

ネクタイ…う~ん…微妙。

スーツやジャケットは当然なしだ。

ハンカチ…もっと微妙…。

店内を見渡すとストールの棚があった。価格を聞くと3000バーツだという。まぁ高い。タイの伝統的な派手な模様があるものが多く使いにくそうだ。数多くあるストールを触りながら探していく。

触った感じから質もまぁまぁだ。

多くのストールが積み上げられているのを一枚一枚触っていると奥のほうに??という感触のものがあった。

引き出してみるとパシュミナとシルクで作られているらしい。非常にシンプルで先ほどまで触っていたストールとは別のものと感じる。

店主に「これはいくら?」と聞いてみると同様に3000バーツだった。

他のものにはお金は出したくないが自分で確かめて良いと思ったものには即決だ。

妻のも含め2つのストールを買うと店主に話し、

「ディスカウントをしてくれ」と頼んだが12000バーツ以上、つまり4枚の購入ならディスカウントに応じると言ってきた。

まぁふざけるなだ。

「そんなにいらないよ。ありがとう」と言い、時間もないしそのままこのストールの購入となった。この時点でマージンは運転手かバンコク先生にいったのだろう。

お店のお会計を担当する女性が僕にスプライトを運転手にコーラを持って行けと渡してくれた。

これも僕のお金から当然でているわけだ…。

トゥクトゥクの運転手に再開しジュースを渡すと僕の購入したものを見てきた。このことで疑念は確信へと変わるのであるが、運転手のリアクションは「ふぅん」くらいのものだった。

もっと高額商品を買わないとマージンの回りはよくないのであろう。僕はどれくらいふっかけられているのかがわからないままトゥクトゥクの旅に戻った。

バンコクの暖かい風を浴びながら数年前の記憶がまた蘇ってきた。

2013年11月慌ただしく結婚式を終えた僕と妻は新婚旅行でフランスのパリへいた。パリの数日前はスペインにいたのだが、スリや詐欺に要注意と色々書かれていたがそのようなことは一切なかった。

それが起こったのはセーヌ川にかかっている橋を妻と二人で渡っている時だった。遠くにはエッフェル塔が見え11月のパリのあまりの寒さに僕らは凍えながら歩いていた。

一人の老婆が僕達の目の前へ歩いてくると、少し前で道端で何かを拾い僕らへと見せてきた。

英語ならなんとか会話はできると思うのだが、相手はおそらくフランス語。何を言っているのかチンプンカンプンであった。

手に持っていたのは”金の指輪”だった。

それを僕ら二人に差し出そうとしてくる。

「 これは君達のじゃないか? 」

とでもいうように執拗に話しかけてくる。

僕ら二人は「 違うよ。僕らのじゃない。 」とずっと言い続け老婆のもとから離れて行った。

妻と僕は顔を見合わせ、このコント「金の指輪」の結末はどんなことになるのかを話したことをよく覚えている。

少しでも触ったら屈強な男が出てきてお金を要求されていたかもしれない。もしくは金の指輪の会話が長引いているうちに無理やりにカバンを盗まれてしまったのかもしれない。

とにもかくにも何事も起こらなかったので良かったのだが、イタリアなどで良く聞く小さい少年によるワインのボトルアタック(むこうから当たってきてワインボトルを落とし、高額なワインだとお金の賠償を求める)や赤ちゃん抱っこして(赤ちゃんを無理やりだっこしているうちに荷物を取られる)のようなことが自分達に実際起りかけたことにビックリしていた。

この風景越しに事は起こった

そんなことを思うとバンコク詐欺はぬるい。というか温和でヨーロッパのほうがよっぽど陰湿だ。

ネット上では”ラッキーブッダ詐欺”となっているが、むしろ僕が以前に経験したお寺さんのバス旅行での鯖江の眼鏡工場パターンなのではないかと思いトゥクトゥクの後部座席へと意識は戻ってくる。

トゥクトゥクは最後の目的地、大理石寺院へと着いた。

到着すると朝イチでいた場所まで戻るか?と言われたので僕は

「友人と食事の予定があるからいければ午後に自分で行く」

と良いお金を払うことにする。

トゥクトゥクの運転手から法外な価格を要求されるわけでもなく、チップも払わず50バーツのみだった。あっさりだ。結構走ってくれたが50バーツきっちりだ。マージンで利益が出るのだろうか?

さて、この大理石寺院はワット・ベンチャマボヒットと言って多くの観光客であふれている。寺院はすべてイタリア産の大理石でできているらしっく本尊の台座にはラーマ五世の遺骨が安置されているという。すばらしくち密な彫刻で綺麗だった。

この時に時刻は11:00頃になるがグングン気温が上がっていくのがわかった。朝早くの涼しげな空気感からどんよりとした湿度を含んだ重く暖かい空気へと変わっていった。

寺院内のお土産屋の前へ着き中を物色してみるとコインや仏像のようなものがあっただろうか。900バーツくらいの値段で売られていた。ある程度の値段で高く感じる。

店前では多くの人が行きかう中、我関せずとでもいうかのように自分のいつもの寝床なのか気持ちよさげに猫が寝ていた。このタイの旅で非常によく見る光景だ。

猫の寝姿を横目に川のような堀のようなところの仏像に目を奪われた。

その仏像は川を見るように何かを祈っていて、見る人によって自分の内面を映すかのような印象をうけた。

「 汝 ここへ来て 何を想ふ 」

そう問われたような気がした。

この仏像が午前中の終着点のような気がするくらい心が落ち着く風景だった。

暑くなければずっと見ていてもよかったのかもしれない。この2時間くらいの間に色々あったことを思い出してみたが嫌な気持ちはなく、むしろ非常に充実しているものだった。

「さぁみんなのいる場所へ帰ろう。」と思いタクシーへと乗り込む。

傍らには少し邪魔に感じていたテーラー屋でもらったスプライトも一緒だった。

後日談

色々調べてみるとこの「ラッキーブッダ」は色々なところへ連れて行かれるらしい。最後の終着点がシルク屋か宝石店が常套手段とのことだ。

宝石だったら買っていただろうか…。僕はそもそも興味がないし、それこそぼったくりの詐欺に感じていたかもしれない。

別日の夜にマーケットでストールを見たが、価格は900バーツで粗悪品が多かった。

事前に調べていた300バーツのストールというのはチェンマイというバンコクより600km以上北にあるところで物価が全然違うらしい。バンコクは観光都市で価格もすべて観光地価格だ。

また、色々なお店でそこに飾ってあるストール類を触り、僕が午前中に購入したものとの比較を行って価格も聞いてみたが、金額が安いものは質は悪く、またある程度の金額がしていても質が伴っていないものも多々あった。

僕の行程で見つけることができたあのストールははたして詐欺だったのだろうか…。むしろ日本で満足している自分がいる。

であれば別によかったのではないかということだ。スーツやシャツをオーダーしていたらこの気持ちにはなっていないだろうが…。

僕のブログ記事が少しでも役に立つと良いと思う。ワットポーやワットアルン周辺で「ラッキーブッダ」と言われたら要注意。

だいたいワットポーやワットアルンなどに時間が制限がかかっていて入場できないと言われる。

トゥクトゥクは安い値段で観光を引き受けてくれる。

シルク屋に興味がなく何も買わなければ格安だ。

眼鏡工場から出すまいと、メガネと全然親和性がないご飯を試食しろ、買っていけ、健康茶の試飲だとされるよりは全然マシである。

僕が体験した一連のコントは彼からスタートした面白い出来事だった。バンコクの壮大なコントはぬるく、逆に少しのやさしさを感じることができた。現地のロッカー式の納骨堂も見れ、ホントかウソか不明だが8日ごとの特別な仏教の日のレクチャーも受けることができた。

バンコク先生

1つ言えることは、今、僕はお土産のストールを日本で身につけている。質は非常に良く僕のとてもお気に入りだということだ。物事の価値観とはそういうことなのだ。

石屋のけんすけタイの寺院へ行く その3へ続く。

HP⇒お墓参りの時にみんなが笑顔になるようなお墓の提案をします。清水屋のホームページblog⇒僕の日常や料理のこと、もちろんお墓のことを書いています。石屋のけんすけブログウェブショップ⇒深川製磁の骨壺や手元供養の商品を取り扱っています

この記事を書いた人

清水 健介
清水 健介この記事を書いた人
創業明治10年東京都上板橋の石材店清水屋5代目社長の清水健介です。令和元年に5代目就任。学生時代からやってきた納骨回数は2000回を超える。お墓、石のことなら何なりとご相談をいただければと思います!お墓を作ったはいいけど、コケだらけなんか嫌!“また会いに行きたくなるお墓つくり”を提案しています。髪がくるくるしているけどパーマじゃない。これは無料パーマだといいつづけている。全国石製品協同組合 理事、東京都石材業政治連盟 幹事長。
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