石屋のけんすけ初のお神輿を担いできました!

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こんにちは。お祭り初心者の石屋のけんすけです。

昨日ですが、地元の御岳神社のお神輿を担いできました。

お神輿の半纏を着るのは初めてだし、服装もよくわかりません。とにかく足袋だけ買ってきてというわけで指定の大山の和太郎さんへ行って買ってきたのがこれ。もうエアーマックスです!

お祭りが好きな方には本当に申し訳ないのですが、白いTシャツにランニングするときのアディダスのハーフパンツとこの足袋での参戦です。

以前ブログやフェイスブックでも書いた僕のお祭り感についてはこちらのブログをどうぞ。 引用するとこんな感じの内容になっています。

誤解を恐れずに言えばお神輿ってうぇい!うぇい!言って何も考えていない頭の悪そうなヤンキーがイキり倒しているだけのしょーもないもんだとさえ思っていた。だって傍から見ていて品もないし近づき難い。もっと簡単にいうと怖そう。変なテリトリー感を出していてお神輿を担げているからエライみたいなダサさがあった。そんなことをしているうちにどんどんと担ぎ手は減っていって今のようになっちゃった。

ヤンキーの内輪の盛り上がりで今までは良かったと思うんです。だって人がいっぱいいたから。でも今まで担いでいた人達は年を取り、地元で仕事をする人も少なくなってきたんです。

僕は地元愛なんて今までなかった。でも最近35才になったからなのかわからないんだけど、少しづつ出てきたんです。地元愛ってのかはわからないんだけどね。おっさんになったからなのかな。こんなタイミングで町会の役員に町会長からの推薦でなったのは何かの縁だと思うんです…

はい。もうこのような感じでですねお祭りへのイメージが最悪な僕が白Tとハーパンで乗り込んだわけです。

みなさん服装もキッチリされておりまして、ダボ?という白い服を着ていました。僕はTシャツです…。半纏を貸してもらいまして、帯の締め方も習いまして締めますと初心者でもそれっぽく見えますね。

また、担ぐ人にくれるお守りも首から下げましてお祭り男もどきのけんすけができあがったわけです。

表には御嶽神社 裏にはお守りと書いてありました。

お神輿への御霊入れにも参加できまして神聖な感じがしました。

お神輿について聞きましたところ、神社の神様は一年のうちの一度だけしか自分の地域を回れないそうです。氏子である地域の人が神様を担ぎ地域を回ってあげる、またお神輿を揺らしてあげると神様は喜ぶそうで、お神輿=神様と一体となることで五穀豊穣を願ったということです。ちなみに諸説ありですよ。

実際に担いでみて

出陣式

お祭りもやったことないし、お神輿を担ぐのは初めてな僕です。声かけも担ぐリズムもまったくわかりません。

もう見よう見まねです。

ガンガン!!! ドンドン!!

ものすごい勢いで担いでいる棒が僕の肩にダメージを負わせていきます。

面白いものでヤンキーみたいな兄ちゃん、ヘンテコな細いサングラスをかけているお兄ちゃんも悲鳴を上げています。お神輿の前では威勢などはふっとび平等なのだとかんじた瞬間です。

僕は慎重が167センチくらい。標準より少し低めです。なので身長が高い人たちの間に挟まれると担いでいる棒は浮くんですよね。そしてものすごい勢いで僕の肩へダメージを負わせる…。町内を一周するまで3時間強。これは大変だぞ…という思いがよぎりました。

ソイヤ?だっけな??掛け声がわっしょいじゃありませんでした。

ある女性の方が僕にアドバイスをくれました。

担ぐ棒と肩との隙間を空けないで!一体化して!

もうね。物凄い痛みなので従うしかないんです。

するとどうでしょう。

あれ??痛くない。たとえるならば

海の上を漂っているかのような感じ。

わかりづらかったらすみません。何か浮輪で海を漂っている感覚と似ている気がしたんですよね。バシャバシャと波に逆らわずに流れに自分の体をゆだねる感じです。そうするとですねマジでお神輿と一体化しているような気分になるんですよ。

そんな感覚の中、昔の人は何を思ってお神輿を担いだのだろうということを思っていました。お神輿は五穀豊穣を願うという一面もあります。当時はお米や農作物がちゃんと育つように、豊作であるように祈念したわけです。

その相手は自然です。

晴ばかりでもダメ。雨が多すぎてもダメ。

人間の敵う相手ではない自然を相手にどう寄り添っていくか。流れにのっていくかということを考えていたのかな??と思いました。自分が自分がといくとお神輿のペースとははずれ、肩に物凄い痛みを与えます。一方でみんなと調子をそろえ海の波に乗るような感覚だと不思議と痛みもなく一体感を得られます。

なにかビジネスの本質や、人生の縮図を見ているような気がしました。

考えすぎ???

非常に面白いと思ったな。ほかにも休憩所で地域の人とのふれあいもしましたし、お祭りの服装についてのレクチャーを受けました。足の筋肉がしっかりしている人は長ズボン?ダボっていうの??を履くんじゃなくてふんどしのようなものをつけて超ミニスカートみたいにするほうが粋とのことです。

…僕ランニングのハーパンなんですよ…。その指南役に「もったいない」とて言われまして、そのハーパンをたくしあげてブリーフ状態にして履きました。いい感じだったそうな。

ちなみに嫌悪していたヤンキーの人達なのですが、一切担ぎませんでした。これね あとで聞いた話なのですが、今回のお神輿は地元の氏子が担ぐもの。なのでそのヤンキーの人達はまわりで盛り上げる人達だったらしい。そして今日、その助けてくれたヤンキーの人達のところへうちの地元から盛り上げに行ってる人がいるらしい。土砂降りでもお神輿をするのはビックリ!

すべて持ちつ持たれつなんですね。ヤンキーのあんちゃんたちの義理堅い一面を見ると食わず嫌いをしていた自分が少し恥ずかしく思います。

次世代のために

お神輿は本当に地域のためにあるものだと認識した今回でした。商店街の人に手を振ったり、応援してもらったりで自分の知らない世界がそこにはありました。

以前ブログにも書いたのですが、僕たちの世代はほとんどお神輿を担いでいないと思うんです。それがもう35歳です。失われた20数年です。子供がいる友人も多くなってきましたが、今回のお神輿に参加する30代はほぼほぼ皆無だった。40代はいたけどね。

当然20代はゼロ。

この先の10年でお神輿の運営も厳しくなっていくでしょう。

そのひとつの回答として今回は僕の母校でもある桜川中学校の中1、中2の生徒さんが担ぐ区間がありました。授業の一環ということです。

もうね物凄い盛り上がり。

ソイヤーとかわっしょい!とかの掛け声じゃないんですよ。

桜川! 桜川!

さくらがわの連呼。これには大人も大爆笑でした。彼ら、彼女らの笑顔は本当に良かったな。楽しんでくれたらまた来年も戻ってきてくれるでしょう。友達に言ったりして羨ましくなった人達が何倍にもなってくれたらいいな。

さくらがわ!さくらがわ!

僕の時代は担げる人が限定的だったと思うんです。だれだれの紹介じゃないと担げないってね。やっぱり地域コミュニティーのマウンティングが効いていたんだと思う。でも今は違うよね。彼らの時代、いや僕らの時代から変わっていくのだと思います。

最後の3本締めは町会長の一言で無事終わりました。

二次会も地域の方と飲ませてもらい、地元で仕事をさせていただいている僕としては本当にありがたかったです。

めっちゃウェルカムだったしね!

来年はちゃんと服装整えて臨もうと思いました。

何枚かの思い出の写真をのせて今日はこれくらいにしようと思います。それではまた!

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この記事を書いた人

清水 健介
清水 健介この記事を書いた人
創業明治10年東京都上板橋の石材店清水屋5代目社長の清水健介です。令和元年に5代目就任。学生時代からやってきた納骨回数は2000回を超える。お墓、石のことなら何なりとご相談をいただければと思います!お墓を作ったはいいけど、コケだらけなんか嫌!“また会いに行きたくなるお墓つくり”を提案しています。髪がくるくるしているけどパーマじゃない。これは無料パーマだといいつづけている。全国石製品協同組合 理事、東京都石材業政治連盟 幹事長。
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